2002/05/24
カシミール問題の話4
続きです。
1997年はインド、パキスタン両国の独立50周年という記念すべき年でした。そのため両国間の外交が活発化し、外相が会談を設けるなど、カシミール問題に対する話し合いも積極的に行われましたが、全て不調に終わりました。そして1998年、インドはパキスタンとの国境の近くで地下核実験を行うことで、パキスタンを挑発しました。両国の軍事力・経済力・その他を比較すると圧倒的にインドが有利であり、もし本気で全面戦争になった場合はパキスタンが完敗するだろうということからパキスタンは抑止力として核兵器を保有することを選択、地下核実験を行いました(このことは日本でもニュースになったので知っているはず)。さらにパキスタンは中距離弾道ミサイルを開発、その名前にインドを征服した戦士の名前(ガウリ)を付けました。こうして対立していた両国ですが、1999年に両国首相が会談をし、カシミール問題解決に向けたラホール宣言を行います。しかし、それから数ヶ月後にパキスタンが支援しているゲリラがジャンムー・カシミールに侵攻します。それに対してインドは空爆で応戦し、またその侵攻にはパキスタン軍が参加していたと主張、両国間は、またもや対立状態に陥りました。これにはアメリカが介入し、戦争は停止、パキスタンが軍を撤退させるという、一応の決着を見ました。しかし、同年末にパキスタンで軍事クーデタが勃発します。その結果国際世論はインドに傾いていましたが、2001年のアメリカのアフガニスタン侵攻の際にパキスタンがアメリカに協力したことから立場が逆転、インドに焦りの色が見えたとき、ここぞとばかりにジャンムー・カシミールの議会にテロが行われました。多数の死者を出したこのテロの報復としてインドがカシミール軍を攻撃、一度は平和的解決を模索する動きもありましたが、結局はパキスタンからそれに対する報復が行われ、両国間は泥沼に陥って現在に至っているわけです。
この争いに終わりは見えません。恐らく永遠に続くのでしょう。


 

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