2002/05/18
ワンダフルの話1
ワンダフルという言葉を聞くと、どうしても違和感を覚えます。というのも、ワンダフルの語源を知っているからです。
ローマ帝国が東西に別れた五世紀半ばに、西ローマ帝王の妹ホノリアが不倫を働いて東ローマの実家に追い返されるという事件がありました。実家で謹慎させられたホノリアは何を血迷ったのか、ローマの大敵であるフン族のアッチラ王に求婚の手紙を贈ってしまいます。あまりに愚かなこの行為を大義名分にアッチラ王は西ローマの半分を要求し、攻め込みました。これを迎え撃ったのが国父アエティウスという将軍です。彼はかつてフン族の人質とされていた頃があり、アッチラとは兄弟同然の仲でした。そのため、自分の部下もフン族であり、アッチラ側についてしまい、ほとんど手勢の無い状態に追いこまれます。なんとか西ゴートのテオドリック王を説得したとは言え、圧倒的に不利な状態で大決戦を挑まなければなりませんでした。アエティウス側30万、アッチラ側50万、総勢80万と言われている大激突(カタラウヌムの大会戦)は双方に多大な被害を与えながらもアエティウスの奇跡的な勝利で終わります。しかし、その結果英雄となった彼は増長し、西ローマ帝王のバレンティニアヌス三世から帝位を奪おうと企むことになりました。彼は自分の息子を小エウドクシア皇女と婚約させようとしたのです。バレンティニアヌス三世には王子が居ませんから、これは自分の息子に帝位を譲れと言っているのに等しい行為です。怒ったバレンティニアヌス三世は、彼を暗殺してしまいます。アエティウスという将軍は西ローマの守りの要でしたから、彼が死んだことで西ローマ帝国自体が混乱します。その混乱につけこんでアエティウスの部下のペドロ=マキシムスが帝王を殺害、帝位を簒奪してしまい、さらにバレンティニアヌス三世の妻アエティウス(皇女のエウドクシアではない。区別するため、一般に皇女を小エウドクシアと表記する)と結婚します。
続きます。


 

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