2002/03/01
ひな祭りの起源の話1
三月三日は桃の節句です。我が家にも娘が一人いますから、テレビの上にひな人形が飾ってあります。このひな祭りという風習はどこから生まれたのでしょう?
もともと桃の節句は三月三日ではありませんでした。実は本来の桃の節句は旧暦三月の最初の巳の日であり、そのため上巳の節句と呼ばれていたのです。上巳の節句が三月三日に定まったのは室町時代といわれています。さて、ひな祭り自体の起源をたどると、まあ当然といえば当然ですが、当時の日本にとって文化の先進国であった中国に行き着きます。古代中国においては、上巳の日を陽数(奇数)である三を祝う日として、曲水の宴というものを行っていました。これは川辺に並んで座り、上流から流した杯が前を通りすぎないうちに詩を詠じて杯をとりあげてその酒を飲むという行事です。また、桃花酒を飲んだり、草餅を食べることで、厄を払うという祭りでもあったようです。なお、身のけがれや災いを人形に移して川に流して厄払いをしたとする説もありますが私はこの説に関しては少し疑問があります。確かに中国の道教には三尸(人体に住むとされた三匹の悪い虫)の駆除には人形に着物を着せて川のほとりに埋めるというのはありました。しかし「けがれ」という発想は日本独特の発想であり、古代でも近代でも、中国には存在しない概念です。一方、日本には古来から水辺における「みそぎ」や「はらい」の思想というものがあったのは間違いありません(もちろん、これに人形が絡んでいた証拠は存在しない。その証拠は後述するが平安時代になってから)。恐らくどこかで誰かが、ごちゃまぜにしたのでしょう。さて、この「曲水の宴」という風習がいつ頃に日本に来たのかは定かではありませんが、少なくとも平安中期には存在していたことが文献によって確認されています。例えば桃花酒を飲む風習は蜻蛉日記に記述されており、飲みそこなった男が、「三千年を見つべきみには年ごとにすくにもあらぬ花と知らせむ」と詠む話が出てきます。
続きます。


 

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