2002/02/27
ソルトレークオリンピックの話1
まったく盛りあがらなかったオリンピックも無事に終わりました。誤審が目立ったと言われていますが、何を今更という感じです。
そもそもオリンピックは誤審なんぞ当たり前だし、審判が自国を贔屓したりというのも日常茶飯事の大会です。つまりオリンピックに公正さを求めるのがおかしいのです。公正さを求めるその心の奥底にあるのは勝敗に対するこだわりです。実はオリンピックが始まってすぐの段階(第四回ロンドンオリンピック)において、アメリカとイギリスが陸上競技で激しく対立し、国民感情にまで影響を与えるという事態を招いたことがあります。このときに誕生した言葉が「オリンピックは勝利することより、参加することに意義がある」です。これには続きがあり、「人生において重要なことは成功することではなく、努力することである。相手を征服したかどうかではなく、戦ったかどうかである」となります。今回のオリンピックはテロにより中止も危ぶまれましたが、それに対してIOCのロゲ会長は「オリンピックは異文化、異人種、異価値観が出会って兄弟愛を表現することが目的である」と述べています。表彰や順位付けはあくまで洒落に過ぎず、その真の目的は別のところにある、と。しかし、現実は勝敗に異様なまでにこだわり、また国家間でのメダルの数を競うという、第四回オリンピック前の状態に逆戻りしています。その演技の質ではなく金メダルが取れたかどうかに対するこだわり。しかも、他国の演技の素晴らしさではなく、自国民の演技だけに注目する、歪んだ愛国心(ニッポンという国名連呼という極めて恥ずかしい現象がそれを端的に表しているだろう)。この根本的な理由はマスコミの煽りなど色々と理由が考えられますが、最大の理由はオリンピックに金が絡んでいるからと考えられます。例えば、オリンピックに出場した選手をCMに起用する場合、日本ではJOCにいくら払わなければならないか知っていますか?2000万円ですよ、2000万円。それだけの金をしかも、それが例え自社に所属している選手であっても、です。
続きます。


 

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