2002/01/06
イスラムの話5
続きです。
混乱するメディーナへ現れたマホメット一行は、対立しやすいアラブ民族なのにそれが一致団結している姿を見せつけたわけですから、当時のユダヤ人もアラブ人もこいつはちょっと凄いぞ、と一目置くようになりました。そして、いつしか部族間対立の中立的調停者としての役割を持つようになりました。その調停の方法は単純で、双方が入信すれば対立しない、というものでした。この方法でマホメットはどんどんと勢力を増していくのです。そしてメディーナをほぼ統一すると、今度は砂漠の民も部族間対立の調停としてマホメットを利用するようになります。マホメット一行という巨大な力を後ろ盾にできるというのはかなり有利だからです。そうすると対立していた部族もまたマホメット一行に攻撃されないためにはマホメット一行を後ろ盾にする必要がある、という具合に、ここでも同じ方法で入信者の数は爆発的に増えていくわけです。こうして630年にはついに宿敵メッカも征服し、631年にはアラビア半島そのものの統一に成功します。そして、その翌年にマホメットは死去しました。マホメットの死後は神の啓示集「コーラン」が唯一の経典として残り、イスラムはその後も順調に勢力を拡大させていきます。実はマホメット自身は生前に、自分が神懸りになっていないときの人間としての言葉を残さないように言っていました。その理由としてマホメットは自分は人間であり神ではないため、自分自身の言った言葉が正しいのか正しくないのかわからないから、と述べています。しかし、勢力が拡大していくうちに「コーラン」だけでは足りなくなっていきます。そこで、マホメット自身の言葉を集めた書集が作られます。これが「ハディス」です。この「ハディス」という書は非常に面白い書物で、本当にマホメットが言った言葉なのかどうかを検証してから収録するということを行っています。そのため、ハディスには実際の言葉(メターン)とは別に初出一覧のようなもの(イスナード)も記録されているのです。
明日からは何故現在の中東イスラム諸国があんな状態になったかについて述べます。


 

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