2002/01/05
イスラムの話4
続きです。
こうして布教活動が進むと今度は商人仲間に対する布教を始めます。しかし、商人はわりと現実的ですから、宗教を信じにくいのですね。そうするとマホメット(に憑いた神)はうまく布教が進まない苛立ちからか、次第に戦闘的になります。たとえば商人に呪いの言葉を吐きかけ、「商人は地獄の炎に焼かれて死ぬ」とか言い出すようになります。教祖というか、預言者本人とその神が攻撃的になれば、待っているのは完全な対立です。しかも彼の布教内容自身が非常にやばいものでした。なにせ完全な一神教ですから、当時のアラブの宗教感を真っ向から否定していますし、そもそもマホメットが所属していたコライシュ族というのは神々の神殿を守護するという栄誉を持っていたのです。つまり、自分の属している部族の権益すら否定することになり、当然のように反マホメット運動が起こります。そしてついに改宗者に対する弾圧が始まりました。これに関してはマホメット(に憑いている神)自身もちょっと攻撃的過ぎたため、のちの「頑迷かつ粗暴なアブジャーハル」とか言った伝承を鵜呑みにはできませんが、とにかく攻撃されたのです。真っ先に狙われたのは、奴隷や身分の低いものでした。このため、彼らは一時メッカから避難することを余儀なくされます。そこでマホメットはメッカからの脱出を試みることになりました。まずはアビシニアへ移動しました。このときの信者の数は、たった70人です。12年も布教に費やしてたったこれだけ。しかもそのほとんどが親戚でした。イスラムの成立がいかに困難だったかがよくわかります。マホメットはさらについに西暦622年にアビシニアからメディーナへの逃避行に成功します。これを聖遷(ヒジュラ)と言い、この年をイスラム歴では元年と定めています。当時のメディーナはアラブ部族が互いに争っているのは当然として、そこにユダヤ人も混じっていましたから、とんでもないことになっていました。
続きます。


 

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