2000/08/16
宗教という麻薬の話
もともと私はケルト神話(これに関しては以前に書いたかもしれませんが、大学の図書館以上でした)から入って宗教関係を読み漁り、キリスト教や仏教、神道はもちろん拝火教だのまで手を出していましたのでこれの細かい話を書き出すと私は実は幾らでも書けるのですが、今回は細かい点をすべて省いて宗教そのものに焦点を合わせます。宗教とは麻薬のようなものだという言葉があります。これは、かなり核心を突いていると思います(もっともこの「麻薬のような」はあらゆる物に使えるのですが)。
宗教の本質を考えると、それは麻薬のようなものだからです。全ての宗教の原点というものがその根底にあります。この世のあらゆる宗教はその発生が人間の持つ根源的な恐怖に対する回答という性質を持っているからです。その恐怖とは「死への恐怖」以外の何物でもありません。人は必ず死にます。ですから人は誰しも死に対する恐怖を持っています。私も一時期「死への恐怖」にとりつかれたことがあります。そしてあらゆる行動はこの「死への恐怖」抜きでは語れないのです。三大欲の一つである性欲ですら「死への恐怖」の裏返しととらえることができます。性欲は死んで何も残らないことへの恐怖が子孫を残すという形で昇華したものだからです。宗教は「死への恐怖」を和らげる、もしくは消滅させるために誕生し、発展しました。ゾロアスター教やキリスト教、北欧神話のような終末系やケルト教や仏教のような来世系(ゾロアスターはこちらに含めることもあります)だけでなく神道のようなアニミズム系(現在の神道はまるで違うものになっています)ですらその根元にあるのは「死への恐怖」の緩和なのです。一方、麻薬は「死への恐怖」を和らげるために使われます。戦争時に使用されるのはそのためですし、覚醒剤などもその典型です。本質的には同じ物なのです。
私はそういうわけで宗教を否定する気はありません。弱い人間が逃げるのは仕方がないからです。宗教も麻薬も量を守り、きちんと使えば「死への恐怖」に対する薬となります。ですが、使い方を誤ったり使い過ぎると中毒になり、さらには廃人になってしまいますよ。


 

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