2001/08/09
語源の話1
何度か書いていますが、私はもともと日本に住んでおらず、普通の人と比べて数年ほど日本語に対してハンデを背負った状態でした。そのため、日本語というものに対して非常に劣等感のようなものを持っており、それが私に日本語を勉強させるわけです。そうやって日本語を勉強していくうちに、いわゆる崩れた若者言葉だと思っていたものが実は正規の日本語であったり、古典にその原典があったりすると非常に楽しいわけで、そういう例をいくつか紹介したいと思います。
例えば若者言葉の「しかとする」というのがあります。これは相手を無視するという意味ですが、思ったよりも歴史が古い言葉で、賭博の隠語変化説で、花札の十月に紅葉に鹿という絵柄がありますが、この鹿がそっぽを向いているから「鹿十」または「鹿頭」変化したという説が有力です。もう一方は方言の変化説で、「しかともない」という方言があり、これは「たいしたことがない」という意味、また「しかつ」という方言もあり、これは「あまり」という意味で使われます。これらの方言が語源となったという説ですが、「しかつ」根拠としては強くなく、そもそもこの説を推奨している人がその方言を使っている地方のやくざ同士の抗争の言葉を聞いて思いついたというところからしてかなり嘘っぽいと思います。
やばいという言葉も語源として非常にあやふやであり、泥棒が夜中に地面にはいつくばる「夜這い」が変化したという説がありますが、理由としては非常に弱いと思います。わりとありえそうなのが古典の「いやあぶない」という、とても危険の意味がやばいになったという説ですが、これも根拠としてはそれほど強いとは思えません。また、不良言葉のあやぶい(危ないの意味)がやぶいからやばいに変わった説などもありますが、私は「やば」変化説を推したいと思います。「やば」というのは囚人が看守を指す言葉です。そこから看守が来たぞというのを「やばい」というようになり、それが危険なことを意味するように変化したという説なのですが、この説が何故か一番弱い説なんですよね。
明日に続きます。


 

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