2001/08/07
地球に優しい話2
昨日の続きです。
厳密に現在の自然を守ることを自然を守ると表現するのであれば、たしかに人類が誕生させたものではありますが、例えば酸性雨という自然もまた守らなければなりませんし、さらに言ってしまえば天然痘は絶滅させられましたがこれも本来は自然の一部であったわけで、ただ単に人類に都合が悪かったから抹消したわけで、自然を守るというのなら天然痘も守るべきであり、絶滅させるべきではないと言ってもいいわけです。結局自然を守るという言葉も「人間にとって都合のよい」自然を守るということであり決して本当の意味での自然を守ろうということではありません。おまけに大方の自然保護はその根底に嘘があります。たとえば酸素の供給元である大森林を伐採しないようにパルプを取るな、再生紙を使え、なんて言ってみるのは簡単ですが、再生紙を作るために必要な過程ではパルプから紙を作るために必要な過程では前者のほうが手間もかかりますし、水質汚染の観点から見れば前者のほうがひどいわけです。また作成過程において必要とする電気エネルギーも大きいわけで、これは地球温暖化に役立ったりするわけです。このように(人類に優しい)環境保全というのは一元的に見てもわからず全体を比較した場合にどの程度の差異があるかを想定する必要があります。ちなみに大森林を全て伐採しても現在の大気の酸素量にはほとんど影響が出ないことも知っておくべきでしょう。現在の大気中の酸素のほとんどは有史以前より海中植物が蓄積したものです。、人類は化石燃料だけではなく酸素すら昔のものを消費しているわけです。
有史以前より地球の環境は絶えず変化してきました。嫌気性菌は光合成を起こす植物によって絶滅寸前まで追いこまれ、この世を謳歌した恐竜は環境の変化によって絶滅しました。人類もまたその理由が自らの手によるものかどうかは別として絶滅することはあるわけで、絶滅しないようにあがこうとあがくまいと地球にとっては痛くも痒くもありません。地球に優しいというのは人類の持つエゴイズムをオブラートで包んでごまかしただけの言葉ということを知っておくべきでしょう。


 

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