2002/09/14
CMMの話2
続きです。
日本における雇用形態は、よく言えば柔軟、悪く言えばいいかげんです。権限は個人に振られるのではなく、もっと大きなグループに割り振られます。そのため、本来開発を担当する人であっても設計区に遅れが出れば手伝いに出向くこともありますし、その逆も当然あります。その分、どうしても個人の担当エリアが広くなり、その結果、個人が抜けるときには長い引継ぎ作業が必要となります。どちらのシステムがより優れているかは言えませんが、受託開発においては日本式のほうが優れているように感じます。しかし、CMMはそれを破壊するための道具です。CMMにおいて重要なことはプロセスの定義化であり、権限の明確化です。人間のパーツ化(もっとショッキングな言い方をするなら歯車化)です。いつ誰が辞めたとしても大丈夫な体制作りです。これで、日本においてCMMが上手く行きそうにない理由が見えてきました。実際に、ちょうど1年前に流行ったときCMMの上位レベルを取得した日本の企業は、初めは株価が安定していたにも関わらず、現在は激しく低迷しています。しかも、IT業種に回復の兆しが見ているにも関わらず、それらの企業に上昇の兆しが見えないのです。これは何故でしょうか。その前にCMMが推進された企業の中で何が起こったかを説明しましょう。このような企業では、まず優秀な人間が自分が歯車化されていることに気づきます。よって個人としての誇りを持っている優秀な技術者は、このような会社に留まることを潔しとせず、他の会社に流出します。こうして優秀な人材の流出という事態を招きます。しかし、CMMは無能な人材でも数さえ揃えば何とかするための手法ですから、企業はそのことに対して問題があるとは思いません。むしろ、高給だった人間が自発的に辞めてくれるので助かった程度にしか考えていません。そして、代わりに安くていつ辞めても構わないような人材を雇用するわけです。しかし、これが大きな落とし穴となります。
続きます。


 

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