2002/04/30
サイトへの意見の話2
続きです。なぜ「ライト」の話は複数から指摘されているにも関わらず訂正せず、「栗饅頭」は、一人の指摘だけで訂正したのでしょうか。それは、そこに意見があったからです。
ほとんどの人は、コンテンツを見て、間違っている間違っているとわめきちらすだけです。私はそのようなことをされても何も感じませんし、正直、迷惑としか感じません。たとえどんなに丁寧な文面で指摘されようと、それはただ単に人のコンテンツに土足で入りこんできているだけだからです。私は彼らに問いたいのです。「間違っているのはわかった、じゃああなたはどう思うのか?」と。それが決定的な違いです。自分はこう思う、こうすれば説明がつく、というのが一つでもあればいいのです。それが素晴らしくかつ私が面白い文章にできそうであれば喜んで採用させてもらいますし、それが多少おかしくても私なりに新たな結論を導き出すインスピレーションになるなら、頭を下げてでも文中で使わせてもらいます(海老沢博士の論など、その最たるものだ)。「栗饅頭」のときは、問題点と共に結論が来ました。その結論があまりに面白かったため、採用しました。たったそれだけの違いですが、これは大きな違いです。「あんたは間違っている、これを読め、直せ」と頭ごなしに言われて、「はい、おっしゃるとおりです、貴方様のおっしゃることは正しいです、貴方様は神様です。謹んで直させていただきます」と言えるほど私は人間ができていません。「間違っているのがどうした?嫌なら読むな」くらい言います。これが「あんたは間違っている、これを読め、俺はこう思うがどうだ!」なら、喜んで読みます。なぜなら、その後ろには「しかしそれだとここに問題が無いか?」という問題提起も出来ますし、意見のキャッチボールによって最終的によりよい結論が誕生するかもしれないからです。一方的に間違っているとわめくのは決してコミュニケーションではありませんが、これはコミニュケーションだからです。
メールを投げる前に、掲示板に書く前に、そこに「自分の意見」があるかを考えてください。それが無いなら、出しても意味がありません。


 

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