2002/03/29
プログラム歴の話2
続きです。
このときのアセンブラの勉強は、後にC言語を学んだときに生かされました。私がポインタという概念をスムーズに理解できたのは、このアセンブラ勉強のおかげと言っても良いでしょう。ただ、アセンブラの勉強は、アルゴリズムの勉強という意味では、失敗でした。BASICの頃は、実行速度はプログラミングテクニックにリニアに対応して変化しましたが、アセンブラの場合、どんなコードを書いても早い、ということで、かなりべたべたなコードを書くようになってしまったのです(この癖は、かなり後まで尾を引いた)。16年前に私は当時の最新鋭、PC-8801mk2MRというパソコンに移行します。メモリは一気に増えて、フロッピーディスクドライブすら標準装備。データレコーダ(カセットテープ)との早さの違いに驚いたものです。この頃になると私はBASICに戻り、凝ったアルゴリズムを組むことに執着していました。そして今から11年前、当時出たばかりだったPC-9801DA7に乗り換えます。MS−DOSと知り合うのもこの頃です。そして、パソコン通信を始めたのもだいたいこの頃でした。この頃になると、私はさすがにBASICに速度的/設計的限界を感じており、PASCALという言語を学び始めました。C言語ではなくPASCALだった理由というのは単純に、当時の流行りがTurboPascalという言語だったからです。私はこの言語で構造化設計というものを知りました(注:構造化言語自体はQuickBASICに触れたのが始まりだが、学んだのはTurboPascalということ)。ここでC言語ではなく、PASCALから入ったというのは大正解でした。PASCALという言語は、私はドイツ語のようだと例えたことがありますが、PASCALで書くと、10人が書いて9人くらいは同じプログラムになるというくらい、一切の特殊処理を認めない、アバウトさの無い、非常に厳格な言語なのです。おかげで、私はプログラミングスタイルの改革が必要となり、構造化をきちんと学ぶことができました。
続きます。


 

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