2002/01/20
納豆の話5
続きです。
この「八幡太郎の納豆伝説」は、下敷きがあります。こちらは資料として残されているものなのですが、戦国時代に豊臣秀吉が朝鮮に出兵した(文禄の役)のは御存知でしょう。このときに加藤清正の軍が食糧難に陥ったことがあります。空っぽになった味噌袋の中に馬糧の煮豆を入れて行軍していたところ、馬の体温で煮豆が蒸れて「糸引納豆」が出来上がったということです。この納豆が「馬の体温でできた」というところまで、実は「八幡太郎の納豆伝説」とまったく同じなのです。よって「八幡太郎の納豆伝説」のほうが主人公を勝手に変えて使ったという可能性が高いと言えます。「糸引納豆」自体が普及するようになったのは江戸の末期と言われており、納豆売りもこのころに登場しています。納豆菌自体が発見されたのは1905年のことで、東京大学の沢村真博士が発見しました(そのため、納豆菌の学名はパチルス=ナットー=サワムラという)。また納豆菌の純粋培養と工業化は北海道大学の半沢洵博士が1921年に成功しています。半沢式納豆製造法は、今までは藁に直接包んで生成するため、衛生的に問題があった「糸引納豆」を、培養煮豆を納豆菌と改良容器(木などを使った箱)に詰めて発酵させるようにしたもので、このことで雑菌の繁殖を抑えることができました。現在の「糸引納豆」の製造方法も半沢式納豆製造法とほとんど変わっていません。
さて、「糸引納豆」には性的な意味合いが込められていたという話をして、納豆の話をいったん終わりにしたいと思います。これは「姫納豆」と呼ばれているもののことなのですが、藁包の中心に藁で作った姫人形を入れて納豆をこしらえるという風習が東北地方にあります。熱く熱した豆を藁包の中に注ぎ込むと注ぎ込まれた豆が変化し、藁包は徐々に膨れ、開けると中から人形が出てくる・・・これは懐妊プロセスそのものです。「糸引納豆」の製造にこのような性的な意味合いが込められたのは、生命の誕生の神秘化から、豊作を願ったものではないかと思います。


 

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