2002/01/17
納豆の話2
続きです。
いわゆる「糸引納豆縄文時代説」がいかに怪しげかについて述べましょう。まず、第一の問題として大豆は高い火力でないと煮豆にできない点が挙げられます。そのため、縄文式の土器ではとても耐えられず割れてしまうのです。そこでこの手の文献では、大豆を叩き潰してから煮こんでいたのだろう、と推測します。しかし、それならば横迫遺跡や恵良原遺跡から大豆を叩き潰すのに使用した器具が発見されてもおかしくないにも関わらず、現在に至るまで一切見つかっていません。さらに、当時は大量生産できなかった貴重な大豆を何故か食べ残したことにします。まあ、たまたま豊作でそんなこともあったかもしれませんのでこれは置いておきましょうか。致命的なのは納豆菌です。納豆菌というのはもちろん、どこにでもいる菌ではありますが、その他の雑菌のほうが遥かに多く、そのため納豆菌が多数生息している米藁に包むことで納豆を作るのは御存知だと思います。「糸引納豆縄文時代説」では、藁葺きの家や、藁を床に敷いていれば納豆に必要な納豆菌は手に入ると言いますが、納豆の発酵のためには温度を一定に保つ必要があり、そのためには土器の中に貯蔵するなどの方法が必要になります。たまたまこれらの藁が土器の中に入りこんだとでも言うのでしょうか。しかも縄文時代は鋭利な刃物がありませんでしたから、根元から稲穂を切ることができず、米の収穫は穂先だけで、米藁というものは存在すらしていなかったのです。もちろん、平安時代には大豆を叩き潰す「豆打(ずだ)」と言う習慣はありましたし、叩き潰した豆を煮た汁を「色利(いろり)」という甘味料に転用していたことは確かです。しかし、「納豆」という言葉を文献として初めて登場させたことで知られている平安時代の「新猿楽集(藤原明衡)」が致命的です。その中での「糸引納豆」の紹介が「奇妙な食物」なのです。昔から食べられていたのなら「奇妙な食物」となることはなかったはずです。「糸引納豆縄文時代説」がいかに怪しいかわかっていただけたでしょうか。
続きます。


 

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