2001/12/04
癒しの話1
最近の流行に「癒し」というのがあります。男性の好みも痩せている子よりもやや太目の子、いわゆる「ぽちゃ系」と呼ばれる子に行きつつある(実はこのこと自体は昔から言われていたことです。私が以前に男子高校にいたときに取った五段階のアンケート調査ではおおよそですが、「やや太め」が40%、「普通」30%、「やや痩せめ」15%「太め」10%「痩せ」5%という結果が出ていました)のも「癒し」の一種ではないかと思うのですが、この「癒し」とか「癒し系」というものに対しては色々な意見があるようです。
いわゆる識者の意見はおおむね否定的であり、その理由として共通するのは、「本当に癒しを求めるほどに切羽詰まっているのか」というのがあるようです。さらに突き進んで、「癒しを必要とするほど疲れている自分というものに酔っている」とか「癒してもらいたい=甘えたいつまり自己独立性が失われているマザコンの所業」など、かなり言いたい放題のようですが、これらの意見を述べている人達を裏返してみれば「癒しを必要としないほど強い精神を持っている自分というものに酔っている」とか「癒しなど必要ない=厳しいつまり自己独立性を持ちマザコンではない」ということを言いたいだけと、同じ論調で返すことができます。ようするに自分を強く見せたいという欲求の強い人達が、弱みを見せる人達に対して嫌悪感を持っているというだけのようです。まあ、これはある程度納得の行く結果です。何故なら自分を強く見せたい人達だからこそ識者と成り得たのでしょうから。ようするに、こういう識者の意見をおかしく感じるのは上記のように自分の裏返しだというのもそうですが、根本的には「癒し」とか「癒し系」というものが何故このようなブームを起こすほど巨大化したかという点について理解できていないためではないかと思います。人間は自分の理解の範疇を超えたものに対しては否定しないとアイデンティティを保てない生き物ですから。
続きます。


 

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