2001/10/24
似非科学の話2
昨日の続きです。科学と似非科学の決定的な違いをさらに説明します。
科学の進歩は全て疑うところから始まりました。有名なピサの斜塔による落下実験も「重いものほど早く落ちる」という当時の科学常識を疑うところから行われましたし、ニュートンによる力学もまた当時の科学を疑うところから始まりました。さらに揺るぎない事実と思われていたニュートン力学を疑ったのがアインシュタインであり、それによって相対性理論が誕生しました。相対性理論は万能と思われましたが、科学者はそこに間違いが無いか、例外が無いか、懐疑の目で徹底的に調べ上げ、ミクロの世界では相対性理論が成り立たないことを証明し、これが量子学に繋がりました。そして現在もこの量子学は懐疑の目にさらされ、検証され続けています。では、似非科学はどうでしょうか。幽霊の原因に関する推測はいくつもありますが、それには何の証明も無く、単なる想像か創作に過ぎず、仮説にすらなっていません。中には開き直って幽霊は証明できないものだなどと偉そうにのたまう人もいます。そういう人が科学者を名乗ることは(例え似非科学であっても)してほしくはありません。懐疑主義を失うことがどれほど危険なことかを、よく信じられていることから検証してみましょう。交通事故は満月の日に多いという有名な説があります。この説は統計データを提示し、一見正しそうに見えたため発表された当時はセンセーショナルな説としてあちこちで紹介され、いまだに信じている人もいますが、その後、この説を懐疑の心で追試したものがおり、その結果このときに使用されたデータがかなり作為的なものであり、都合の良いデータだけを引っ張って作られたものだということがわかりました。またその論文で使用されたデータすら正確には満月ではなく満月の前後の日に多く、満月の日はむしろ少なかったというデータでした。そして、現在では完全に否定されています。
科学と似非科学。それは似てまったく非なるものです。その中心にあるのは懐疑の心か盲信の心かという対極です。さて、あなたには懐疑の目は備わっていますか?


 

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