2001/09/16
招き猫の話1
誰でも年に数度は見るでしょう、招き猫。この招き猫の由来について調べたところ、どうもはっきりしません。
私が知っていたのは井伊直孝由来の説です。これは貧乏寺である豪徳寺の雪岑和尚が猫をかわいがっていたところ、ある日、夕立が起こりました。鷹狩りの帰りであった武士が立ち往生していたところ、件の猫が手招きをして寺まで案内したためその武士が濡れずに済みました。武士が雪岑和尚と話してみるとこれがなかなかの人物なので、今後菩提所として使わせてもらうと言ったその武士こそが彦根藩主の井伊直孝だった、という話です。ところがこの話は時代公証に無理があり、どうやらでっちあげというのが今の定説です。私はこれしか知らなかったのですが調べるとまだまだあり、例えば太田道灌由来説というのがあります。この説は江古田ヶ原の戦いで太田道灌が敗れたところからはじまります。敵に追われた太田道灌が黒猫の招きに応じてみるとあるお寺に辿りつきます。このお寺で一夜を明かして難を逃れた太田道灌はその後敵を打ち破り、この猫が招き入れた寺に猫の地蔵をまつったのが招き猫の起源という話。現在も猫地蔵はその寺、自性院にあるのですが、この説の問題は黒猫ということ。招き猫は白ですから、ちょっと外れているかなと思います。しかも、この説は「招き猫」とは直接関係がなく、猫地蔵との関係しか書かれていません。また、富だの客だのといった招き猫の基本属性とも離れています。では別の説を検証してみましょう。江戸時代にライバル関係にあった二つの遊郭がそれぞれ店頭に猫の置物を置いており、一方は金でもう一方は銀でできていたのですが、どちらも大繁盛したため、猫の置物を置くようになったという説です。しかしこの説は既に招き猫というものが存在した後でその招き猫を置いたのか、逆にこれが起源となって招き猫になったのかよくわかりません。また後述しますが、時期的に招き猫の絵よりも後なのです。
明日に続きます。


 

Topへ