2001/02/28
ネット断ちの話
ふと振り返ってみると、自分がネットに依存しすぎているのではないかと思うことがありませんか。私は何度かそんな経験をしています。こんなときは一時、ネットから離れるネット断ちをお勧めします。
私の経験上、ネット断ちという行為そのものにはあまり意味がありません。むしろそれに付随したことで色々と気づくことがあり、それが重要です。私の場合、ネット断ちの最初の一日目で思うことは自分がいなくなったことで周りが心配しているのではないか、ということです。これはかなり己惚れている発想に聞こえるかも知れませんが突然居なくなっても何も思われないならそもそもネットに依存しているなどと心配する必要はないわけですし、例えば毎日来ていたある人がある日突然来なくなったとき自分が思うことを考えれば相手もそう思うはずで、おかしなことではないのです。三日目くらいで落ち着きを取り戻します。心配してもしょうがない、というある種の開き直りになるのが五日目くらいです。一週間もすると二種類の発想に別れます。一つは一週間ネット断ちできたということは依存していないということだ、という発想。この発想が出ている間はネット断ちはその後も何度かする可能性があります。もう一つはもともと依存していなかったという発想です。こちらが出ると、以後ネット断ちなどしなくなります。前は説明不要でしょうから、後ろを説明します。そもそも依存というほどネットって重要でしょうか。ある意味では非常に重要かも知れませんが所詮は道具です。電話がなくなれば困りますが、じゃあ自分は電話に依存しているのかと問えば否、という答えが返ってくるのと同じように道具にすぎないのです。その後ろにコミュニケーションというものが存在するからこそ重要なのです。するとそこに共存、という言葉を見出します。自分はネットと共存している。そのことに気づくのです。
最後に、ネット断ちを成功させるこつを。一つはメールだろうとなんだろうと、一切見ないこと。見てしまうとネット断ち感が希薄になります。もう一つは期間を決めること。自分は一週間ネット断ちする、と決めてやらないと、大抵はずるずると復活してずるずると自己嫌悪の谷間に落ちていきます。


 

Topへ