2001/02/25
正気と狂気の話
正気と狂気とにはどんな差があるのでしょうか。それは正常と異常の違いです。では、正常と異常はどこが違うというのでしょうか。
本来、正気と狂気の違いは単純に多数決によるものでした。つまり多数派が正常であり、少数派が異常という考え方です。これは天動説と地動説の流れを考えるとわかります。天動説が圧倒的主流であった時代には地動説というのは異端であり、異常であり、狂気でした。ところが時代が変わり地動説が主流となると今度は天動説が異端、異常、狂気となります。多数派が正常とみなされるようになったわけです。例えば日本人の九割以上がある日、自分達はUFOに乗ったことがあると思い込んだとします。この状態ではUFOに乗ったことなどない、という人が異常とみなされるということです。しかし、現実はそんなに単純ではありません。ここに科学というものが絡んでくるようになったためです。科学においてはその現象が正しいか正しくないかを実験や調査という方法で証明することができます。これによって、たとえ多数であっても狂気とみなされる、ということが可能になりました。今回は例ばかりで申し訳ないのですが、例えば多数の人が自分が天皇であると思い込んだとしても、DNA鑑定なり、家系を追うなりすればそれが真実かどうかを証明できます。天動説と地動説も観測と実験によってどちらが正しいのかを証明できます。よって現在では正気と狂気で多数決の原理が働くのは科学では証明できない事柄に限られてきました。例えば前世の記憶というものは科学で証明できないため、それが正しいのか間違っているのかわからない(勘違いしないで欲しいのは、いわゆる似非科学は「証明できないこと」=正しいと考えますが、科学では「証明できないこと」=正しいではなく、「証明できないこと」=正しいか正しくないかわからないため、証明されるまではとりあえずは間違っているのではないかと考える、という懐疑主義の立場を取ります。)、だから多数決で考えて前世の記憶があるという人は異端、異常、狂気という具合になります。
科学による証明は理性、と置き換えてもよいでしょう。理性は狂気から多数決の原理を奪ったのです。


 

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