2001/02/12
リプレイの話2
昨日はリプレイ小説とリプレイではリプレイのほうが難しいという話を書きました。これにはまだ理由があります。
リプレイ小説は創作物という意識が強いため、プレイヤが実際には行っていない行動や、プレイヤの見ることのできない、いわゆるNPCの行動、また心理描写などを書くことができます。しかしリプレイはどうしても記録という意識が先に立ち、実際に行われていないことを追加するのには勇気が必要です(参加者からクレームが来ることもありますし)。だからといって注釈や状況説明を入れすぎればそれは流れをぶち壊します。さらに商業レベルでは掲載されるページ数が決まっていますから、どこをどう削るのかをエピソード単位で考え、しかも伏線は残さなければなりませんし話の辻褄が合わなくならないように気を遣わなければなりません。これらの問題を解決するのには並大抵の能力では駄目で、そのため商業リプレイの場合は実際にはプレイされていなかったり、ページ数がリプレイ小説に比べて極めて少なかったりするわけです。とはいえ、これらの問題は技量次第でどうにかなる話ではあります。しかし、リプレイには技術ではどうしょうもない問題もあります。なんといっても最大のネックはリプレイを書き起こす人が参加者であることです。参加者はその場にあった雰囲気をクリアすることはできませんから、読む側が知らないことを知っていると思い込んで書いてしまいがちです。そのため、できあがったものを自分で見ても書かれていないことを無意識に読み取ってしまい、その過ちに気づきません。かといって参加していない人がリプレイを書くことは逆に雰囲気がわからないためほとんど不可能です。一番正しい方法は書いたものをその場にいなかった人に見てもらい、批評してもらうことですが、その結果はたいていは書いた人間の気分を損ねるでしょう。そこで謙虚に手直しができる人、というのは残念なことに非常にまれです。
証拠?ありますよ。試しに検索エンジンでリプレイで検索してみてください。面白いリプレイというものがいかに難しいか、よくわかります。え?小説形式のものも面白いとは限らないって?うーん。


 

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