2000/12/13
大江戸線の話
大江戸線が開通しました。そのあおりを食らって、私が秋葉原に行くために利用していた都営バス(秋葉原−新宿書庫行)が廃線となりました。今までは重い物を買っても家の近くまでバスで行けばよかったのですが、今後は駅から歩かなければなりません。その怨みも込めて、大江戸線に関して色々と書こうと思います。
そもそも、何故大江戸なのでしょう。直接的には都知事の鶴の一声で何も考えずに都民の意志も聞かず(私は都民ですが大江戸線という名称の付け方に関して少なくとも都からアンケートも何も受けた覚えはありません)に一方的につけたということでしょうが、歴史的に見れば江戸が東京に名前を変更したのは伊達ではありません。東京は本来は「とうけい」と読みます。しかし、東京に住む人達が誰もとうけいとは言わずにとうきょうと言ったため、いつのまにかとうきょうと発音するようになりました。東京はその字のごとく、京都から見て東にある都のため、東京という名称になりましたが、これにはある陰謀が隠されていました。実は天皇拉致監禁事件というのがあるのです。大政奉還によって江戸幕府が倒れ、明治維新が起こります。このときに明治政府は形式上は天皇陛下による政治でしたので、名称を東京に改名し、視察名目で天皇陛下を現在の皇居に連れ込み、そのままそこに移住させてしまったのです。ですから皇居は実際は別宅であり、本宅は今でも京都にあります(現実性を伴わない話ですが、これは事実です)。このような強硬手段に訴えた理由には中央集権の目的があったとされています。江戸時代には政治の中心はもちろん江戸ですが、商業及び流通の中心は大坂(現在の大阪)及び名古屋に、対外貿易は長崎、朝廷は京都という具合に各地に機能を分散させていました。それを政治、商業、流通、対外貿易、朝廷といったもろもろの機関を一ヶ所に集める目的がありました。東京への改名にはそういう意味があるのです。

私の記憶では現都知事は遷都(首都機能移転)に関して反対の立場を取っていたと記憶していますが、私の勘違いだったようですねぇ。


 

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