2000/09/26
人種的立場の話
以前に書いていますとおり、私は非常にインディビジュアルな立場にあります。
私はちょうど自分の中で母国語ができる時期にアメリカから日本に来ました。ほとんどの日本人は日本語に関しては英語のように勉強する必要がないため、感性で日本語を理解できるのですが、私はそれまで使えていた英語、フランス語、スペイン語の全てを捨てて、新たに日本語を勉強しなければなりませんでした。よって私は感性で日本語を学べず、学習によって日本語を学びました。逆に見れば私は日本語という言語を客観的に見ることのできる立場にありました。これは実に重要なことで、私は四年分遅れた日本語を覚えなければならないため、語源など、何故そのような言い方になったかまで調べる必要があり、日本語を調べることに関して何のためらいもなく、恐らく平均的な日本人よりもどこを調べればいいのかまでわかるようになりました。そのためテーブルトークでも日本語に関しては何度か話題にしてます。これは私の強力な立場です。このことは弱点にもなります。英語が苦手だというのは以前から言っていますが、英語はちょうど日本人が日本語を感性でわかるようにある程度感性でわかってしまうところがあり、文法というものがまったく学べないという立場になっています。また、受験に必要ではないという理由で、英語社会では一般的に使われているような言葉も周りの人間が当然知っているものとして使ってしまうことがあります。例えばWebという言葉は蜘蛛の糸を表わしますし、それが常識なのですが、日本ではこの言葉はどうも一般的ではないようです。そのためwebというとWorldWideWebを表わしてしまうという指摘も受けています。同じようにファナティティックやらインディビジュアルといった言葉も知られていないようです。
だからといって私は自分の立場を変えるつもりはありませんし、これからもおそらく日本人の常識ではないことを常識として使うことがあると思います。これに関しては私は言い訳をするつもりもありませんし誤解を招いたとしても仕方ないと思っています。


 

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