2000/07/20
二昔前の話3
昨日の続きです。名機PC6001は私と相性が抜群でした。キーボードの使いにくさなど気にならないくらい使い込みました。基盤が焼けて動かなくなるまで、実に6年間もこのパソコンを使いつづけたのです。当時にしても長いほうだったと思います。ちなみにこの頃、私はテクノポリスという雑誌の会員番号1000番で表紙に載ったりしたんですが、PC6601MRを買うなんて話をしています。実際にはこれはかなわず、更に3年後にPC8801MRを買うことになります。
PC6001には、はまりました。どっぷりと漬かっていたと言ってもいいかも知れません。このころになると私は毎週のようにBitInnに行き、PC6001でプログラムを組み、それを持ち込んだカセットレコーダにセーブ(当時はフロッピーディスクはほとんど出回っておらず、カセットレコーダにプログラムをセーブしたりロードしたりしていた)するというのを繰り返していました。BitInnでも顔を覚えられ、受付に行けば何も言わずともPC6001の予約をしてくれるという蜜月の日々を過ごしていたのです。しばらく経って業界初のゲームプログラム教本「はるみのゲームライブラリ(電波新聞社)」が出、これまた私のプログラミングのネタとなりました。パソコン熱は留まることを知らず、家に帰ってもパソコンの話やその未来性(当時私は十年以内にパソコン無しでは考えられない時代が来る、と言ってしました。この予言は十年ではさすがに外れましたが現状を考えると当たらずとも遠からずと言ってよいのではないでしょうか)を熱く語っていました。そのため、親もついに私にパソコンを買い与えることを決意。PC6001が私の部屋に入りました。もちろん交換条件はありました。父の仕事に役立つプログラムを組むというのがそれで、実際に私は今で言うデータベースのようなものを作成していますし、それは後にPC8801にパソコンが変わっても使われ続けました。
それ以来、成績はみるみる落ちていきましたが、それでもパソコンを辞めろとは言われませんでした。おかげさまで今はこれで飯を食っているわけです。


 

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