2000/04/24
絵理香の話4
最後の回です。私が最も愛し、最も憎んだ絵理香の最後でもあります。
K版SYSOPのひどさはNIFTYでのやりとりでもわかります。BCCがNIFTYに例の文章を記述したとき、フォーラムオペはK版SYSOP達に事情説明を求めました。この措置は当然だと思います。これに答えたのが九州絵理香BBSの総元締めと呼ばれている人です。「あなたは他のBBSのSYSOPだから絵理香の悪口を言うんだ」。結局、このときは私がメールで代わりに事情を説明してボード抹消の危機を防ぎました。この低レベルさはサポートBBSでも遺憾無く発揮されました。何か問題が起こっても解決策や案等は一切出さず、どうせ作者がなんとかしてくれるだろうという態度を貫いたのです。ただ文句を言うだけでK版をよりよくしようなどとは露にも思っていない獅子身中の虫のような連中、それがK版SYSOPでした。意見や改良案を求めても私を含めた少数のSYSOP以外からは何の反応も得られないため、作者は自分のプログラムをよくするために、自分だけで考え、自分だけを頼りに暗中模索するという最低の状況に陥っていました。そうこうするうちにBCCからの圧力が日増しに高くなっていきK版の作者はついに絵理香を捨てる決心を固めました。今だから書けますが実はこの間に私は電話で作者の方と数回話しており、まったく別のホストプログラムを作る計画に関する意見なども聞かれています。総元締めやサポートBBSのSYSOPのような大物ではなく私のような小物のSYSOPに聞かなければならないほど作者は追いつめられていたのです。
最後のサポートは九州で行われました。そのサポート局はとてつもない方針を打ち出しました。それはサポートを保証しない、というものでした。サポートを保証しないサポート局とは何だろうと思いましたが、のちに発覚しました。最新版のプログラムを他のSYSOPにはまったく公開せず、自分達だけで使っていたのです。これは私を含めた複数のSYSOPの抗議により結局公開されましたが、うまみがなくなったのでしょう、それはサポート局の閉鎖と引き換えでした。こうして絵理香は深い海の底へと沈んでいったのです。
今でも絵理香は九州を中心に細々と運営しつづけています。もう誰もなんとかしてくれないのに。


 

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