2002/09/19
きつい話2
続きです。
これは相手にとって欺瞞な態度であり、誠意のある態度ではありません。相手に対して本当に誠意があるならば、たとえ自分が嫌われようとその本質をぶつけるべき、というのが、そのときに私が出した結論でした。しかし、これは非常に勇気が必要ですし、リスクだけ高く、その行動が理解されることも極めて少ない、報われることの少ない行為でもあります。そして、それは相手からは「きつい」と言われます。自分が相手に対して見せている誠意は相手にとって誠意とは取られないというジレンマに悩むこともあります。それでも私は敢えてきつい言葉を相手にぶつけます。相手が同じ失敗を繰り返したり、さらに大きな失敗をしたりしないために、相手の心にいつまでも残るようなきつい言葉を使います。本当に相手のことを思っているならば、誠意を見せるべきだからです。優しい言葉というオブラートを取り払うべきだからです。ですが、このことを理解してくれとは言いませんし、理解してもらうつもりもありません。これは結局は相手に対する誠意を失いたくないという自分の傲慢さから発生している行為だからです。また、これを他人に強要するつもりもありません。これを行うには、前にも書いたとおりリスクが高すぎ、勇気も必要だからです。そのような勇気を持てる人がどれだけ居るというのでしょう?過去の歴史を見ても、率直な意見を伝えられた人と言うのはそれほど多くは居ないのです(むしろ上から言われたことに茶飲み坊主のように妄信的に従うほうが多い)。それに、自己愛を持つこと自体を否定することはできません。恨まれるよりも好かれることを(それが実際には相手のためにならなかったとしても)選ぶことを止める権利は、私にはありません。
ですが、私がきつい言葉を使うのは、私のポリシーみたいなものです。だから、直せと言われても直す気はありません。そもそも、その理由として自分が損するだけだとよく言われますが、私には何故相手のために自分が損することを厭わなければならないのかと思うだけです。


 

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