2002/06/10
プログラミングの話
私が何故プログラミングをするのでしょう。もちろんそれが職業ということもありますが、それだけではない何かがそこにあるから、プログラミングをするわけです(実際、小夜香計画のプログラムなんて、一銭にもなりゃしないわけだし)。その何か、とはなんでしょうか。今までそんなことを考えたこともありませんでした。
そんな折に、仕事上で色々とあって、自分が何故プログラミングなんかしているんだろう、と考える機会が得られました。その結果、私は一つの仮説を打ちたてました。プログラミングとは楽しい行為だからできるという仮説です。プログラミングは基本的には楽しいものなのです。だって、自分が思ったとおりのことをマシンがやってくれるんですから。こうなるだろうと思ってやったことがそのとおりになるというのは素晴らしいことです。この楽しさは論理パズルゲームを解いたときの楽しさに近いと思います。私はそれが楽しくてプログラミングをしているのです。一方、プログラミングを行っていると、自分が思ったとおりにいかないことが多々あります。それは必ずしも自分の責任ではなく、OSやAPIのバグといった、論理外の問題によって引き起こされることが多いのですが、そんなときにも私はプログラミングができます。原因がわからず、あらゆる非論理的な思考錯誤を強いられるというのは決して楽しい作業ではありません。とすると、楽しい以外にも何かがあるから、私はプログラミングをするのだということになります。それは何でしょうか。私はそれを情熱によるものではないかと思うわけです。私は内から沸き起こる情熱をプログラミングという形で発散しているのです。だから情熱的に設計し、情熱的にプログラミングをし、情熱的にテストをするのです。
もっとも、この情熱的というのは受け入れられにくいもののようで、今の職場なんぞ情熱的にプログラミングするなら歯車のようにプログラミングしろ、と面と向かって言われるくらいです。この言葉で、私が会社に対して失った情熱は、取り戻せそうにありません。


 

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