2002/01/30
芸失われるの話
私は芸人が好きです。特に日本の古典的な大道芸は好きで、手妻(てづま)やガマの油売りなど、どれも素晴らしい技術だと思っています。
残念ながら、最近では大道芸は廃れつつあり、ほとんど目にすることは無くなりました。私が唯一、直接大道芸を目にするのは神楽坂祭りのときくらいで、太神楽の芸人がその技を見せてくれます。これはテレビも同じで、大道芸を見る機会などお正月くらいでした。しかし、今年の正月はいつも見られるその大道芸が見られず、どうしたものかと思っていたら、なんと訃報が入ってきました。海老一染太郎氏の死去です。もう知らない人はいないと思いますが、氏の得意技は太神楽の中でも最も有名な「傘の曲」と呼ばれる芸(訃報の中には太神楽の芸人としているところがあるが、太神楽にはそれ以外にも曲独楽や皿回しなど、有名なものが多数あるため「傘の曲」の芸人とすべきだと思うが如何だろう?)でした。この芸自体は、実はかなりの芸人がマスターしているのですが、海老一染之助染太郎の凄いところは、これに口上をつけたことと、太神楽の中の土瓶芸(口に咥えた木の棒の上で土瓶のバランスを取る芸)を混ぜたところです。このことによって「傘の曲」は「海老一兄弟の傘の曲」とも言うべき別の芸術に昇華されていました。あの口上は誰でも一度は聞いているはずです。おめでとうございます、いつもより多く回しております、兄は頭脳労働、弟は肉体労働、これでギャラはおんなじ、土瓶を回して落とすと損をします、これがほんとの土瓶損クルーソー。毎年同じであってもそれを見つづけさせるだけの芸力。これが日本の大道芸の凄さなのです。しかし、もうあの口上を聞くことはできません。例え氏に弟子がおり、同じ芸をしたとしても、その口上に至るまでの長い歴史を真似することは誰にもできないからです。
こうしてまた一つ、日本の誇るべき偉大な大道芸が失われてしまいました。来年の正月はたとえテレビをつけても三流芸人のしょうもない芸こそ見られても、真の大道芸を見ることは適わないでしょう。悲しいことです。


 

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