2001/09/18
招き猫の話3
招き猫の話も今日で最後です。
吉原の遊郭に薄雲太夫という芸者がおり、この芸者が大の猫好きで、特に飼い猫の三毛猫を溺愛していたため、「薄雲太夫は猫に魅入られた」と言われるほどだったのですが、ある日、薄雲太夫が便所に入ろうとしたところ、その三毛猫が中に入れさせないように邪魔をしたため楼主が脇差で猫の首を跳ねてしまいました。しかし、その猫は便所の下に潜んでいた大蛇に食らいついてから生き絶えます。薄雲太夫はこの猫の忠義心を惜しみ、西方寺に猫塚を建ててまつったのですが、この猫の姿を浅草で売り出したのが招き猫の起こりというものです。西方寺は焼失したため今では巣鴨にありますが、いまだに門の上に石の招き猫が収められているということです。この伝説は後半がかなりオカルトになっており、吉原に毒蛇がいるとは思えませんし、人を殺せるほどの大蛇なんてアナコンダでもいたというのでしょうか。また薄雲太夫の生存が浮世絵よりも後ということ、さらにこの件がどうして招き猫が縁起に繋がったのかがうまく説明できておらず、あまりに弱い説と言わざるを得ません。さらに探ったところ、中国由来説というのも出てきました。唐代に書かれた「西陽雑俎」という怪書に「俗説ではあるが、猫が耳の後ろまで顔を洗うと、客がやってくるという」というような意味のことが書かれており、これが根拠だというのです。この説はしかし採用するに足るほどのものではありません。何せその時代の書物がどういう経緯で日本に伝わり、しかも何故。江戸時代になるまで使われず、江戸時代になってから突如招き猫となったのかが一切不明だからです。偶然の一致と言ってよいでしょう。
そういうわけで、招き猫の起源はよくわかりません。ところで招き猫は右手を上げていると金を呼び、左手を上げていると客を呼ぶと言いますが、地方によっては右手を上げているのが正しく、左手を上げているのは間違っている、何故なら左手は不浄だからだ、というのがあります。右手が神聖で左手が不浄ってそりゃインドでしょ。こりゃ招き猫インド起源説も調べないといけないかな?


 

Topへ