2001/05/22
上杉鷹山の話1
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」という言葉を知らない人は、いないでしょう。実はこの言葉には続きがあり、「成らぬは人の為さぬなりけり」と続きます。ようするにやる気があれば何でも出来る、出来ないのはやる気がないせいだ、というような意味になりますが、この言葉、誰が言ったのか興味を持ち調べたところ、この上杉鷹山に当たりました。ついでなのでこの人物について調べていくと、あまりに凄すぎる人にも関わらず、それほど名を知られているようにも見えません。そういうわけで、テーブルトークで大プッシュすることにしました。
上杉鷹山は元々、米沢上杉家の人間ではありません。秋月家という九州の外様の三万石程度の小さな藩に生まれ、しかも次男坊でした。それが十五万石の上杉家に養子として入ったのですからこれだけでも凄いことです。米沢藩は上杉景勝が開いた藩ですが、元々は二百万石の大大名でした。ところが御存知のとおり関が原合戦以降十五万石に減らされてしまい、しかも上杉景勝は藩士の誰一人として解雇しませんでした。また、上杉家には実は例の忠臣蔵の吉良と繋がりがあり、派手を好むため交際費等で膨大な金を費やしていました。そのため、大増税を行い、結果として農民にしわ寄せが行きましたから、脱走者が跡を立たず、本当にぼろぼろになっていたのです。実際、当時の藩主である上杉重定は版籍を奉還することすら考えていたと言います。こんな状態で藩主になったわけですから、上杉鷹山も運の悪い人です。しかも藩主になっても米沢に戻ることが出来ず、江戸城に詰め置きにされていました。しかし、世の中何が幸いするのかわかりません。このことが上杉鷹山の運命を決定付ける重大な事項に遭遇させたのです。それは佐藤文四郎という人物との出会いでした。彼が文四郎を知ったのは、米沢藩の現状を知るため夜中に書物を読んでいるときでした。潰しても潰してもやってくる蚊のせいで読書に集中できなかった上杉鷹山は文四郎に蚊を追い払うように命じます。ところが・・・
明日に続きます。


 

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