2001/01/20
速さが価値を持たない時代の話
CPUがギガを越えた、という話題はすでに一昨年の話題ですが、今年は色々とギガを越えるものが出そうです。まずはメモリですが、既に一枚でギガを越えるメモリが出ているようです(価格は20万以上)。そこまでしなくても256Mのメモリが二万以下で買えますから四枚刺せばギガに到達します。それ以外にもギガイーサ(1000Base-T)が本格的に流通しそうですし、ハードディスクはとっくにギガを越えてテラの世界に入ろうかというところ。つい最近まで単位の基準はキロだったのですが、もはやメガを通り越してギガで語られるようになるのかも知れませんね。
私自身、早いことはいいことだと思って今まで色々とやってきましたが、これだけスピードが上がって、ふと気づくと自分はそんなに早いマシンで何をしていいのだろう、という思いにかられます。私は基本的にはプログラマですからマシンが高速化し、メモリが増えてくれればそれだけテクニックのテの字も無いようないいかげんなプログラムを書いてもそれなりの速度で動いてくれますから、ありがたいはありがたいのですが、普通のユーザというのはそんなに早いマシンを使って何をするのでしょう。ベンチマークなんて答えはないでしょうが、速度が要求されるとなるとソフトウェアデコードでしょうか。本当にそんなしょっちゅうデコードしているんですか?そろそろ速さに価値がつかない時代というのが見えてきませんか?速さが価値を持たない時代。そんな時代には何が価値を持つのでしょう。私にはわかりません。だから、とりあえず速さを求めるのです。速さ以外に何を求めていいのかわからないから。省電力ですか?速ささえ求めなければ、今でも充分省電力マシンは作れます。静音ですか?それも速さを求めなければ作れます。多少遅くても省電力を、多少遅くても静かさを。そう思えず、速いままで省電力や静かさを求めている限り、この無限連鎖に終わりはありません。一体、いつこの呪縛から解き放たれるのでしょうか。安息の地はどこにあるのでしょうか。
そんなことを考えながらマシンを700MHzから450MHzに落としてみました。お、遅い・・・。


 

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